55年越しの再挑戦 ―3人の夢が交わり、ミライ人間洗濯機が生まれるまで―

2025.11.07 インタビュー

2025年大阪・関西万博で話題となった「ミライ人間洗濯機」。1970年大阪万博で世界を驚かせた「人間洗濯機」を55年の時を経て蘇らせるこのプロジェクトは、サイエンス ホールディングス会長・青山 恭明の決断から始まりました。1970年当時の技術開発者・山谷 英二さんとデザイナー・上 田マナツさんとの運命的な出会いによって形になったプロジェクトの舞台裏をお届けします。

10歳の衝撃から55年越しの決断へ

青山の原点は、1970年大阪万博で目にした三洋電機(現パナソニックホールディングス)の「人間洗濯機」です。10歳の少年が受けた衝撃は、「いつか実現したい」という想いとして心に刻まれ続けました。

2007年、青山が創業したサイエンスは独自のファインバブル技術「ミラブルテクノロジー」を開発。「人をやさしく洗う」という理念を、少しずつ現実のものにしていきました。そして大阪・関西万博の開催決定が転機となり、青山は決意します。

「必ず進化した人間洗濯機を万博に出展し、次世代に残せる成果にする」(青山)

1970年大阪万博で展示された人間洗濯機
(パナソニックホールディングス提供)

1970年の「ウルトラソニックバス」は技術的課題やコストの問題から社会実装されませんでした。しかし今回は違う。ファインバブル技術を持つサイエンスなら、社会実装への道筋を示せる。「ミライ人間洗濯機」プロジェクトが動き出しました。

山谷 英二さんからの一本の電話

1970年当時の技術開発を担当した三洋電機の元エンジニア・山谷 英二さんは、退職後もずっと人間洗濯機のアイディアを練り続けていました。理想とする微細な気泡を生み出せなかった悔しさが、心に残っていたのです。

そんな山谷さんが、サイエンスのシャワーヘッド「ミラブル」のCMを目にします。「これだ」――山谷さんはすぐにサイエンスへ電話をかけました。その時、サイエンスはまさに大阪・関西万博で「ミライ人間洗濯機」を展示する準備を進めている最中だったのです。

「もう一度、万博に挑戦できるなんて、こんなにうれしいことはない」(山谷さん)

山谷さんの電話がプロジェクトを後押ししたでスー!

上田 マナツさんとの再会

ウルトラソニックバスのデザインを担当した三洋電機の元デザイナー・上田 マナツさんにも、サイエンスから協力を依頼しました。

「しめたと思った。役に立てるだろうから。周囲も喜んでくれて、人を喜ばせることができれば本望です」(上田さん)

上田さんが当時目指した”子宮の優しさ”を表現したデザインは、ミライ人間洗濯機にも引き継がれています。人類にとって心地よい空間を見つけ出すという意味が込められているのです。

「デザイナーというのは未来を考える仕事ですから」(上田さん)

(左から)山谷 英二さん、上田 マナツさん、青山 恭明

打ち合わせを重ねるたびに、チームの確信は深まっていきました。ファインバブル技術、AIによる生体モニタリング、最適化された水流制御――現代のテクノロジーが、半世紀前の夢を現実に変える力を持っていることを、全員が実感していました。

青山さん、山谷さん、上田さん、それぞれの強い想いが時を経て重なったでスー!

未来へつなぐ、55年越しの再挑戦

大阪・関西万博への出展が正式決定後、サイエンスは社内に専任チームを発足。山谷さんと上田さんをアドバイザーに迎え、技術開発とデザインの両面から検討を重ねました。

プロジェクトは段階的に進められました。1970年当時の技術資料と現代のファインバブル技術を融合させる基礎研究からスタートし、AIによる生体モニタリングシステムの開発、水流制御の最適化、実機のプロトタイプ製作へと進みました。

山谷さんは若手技術者にこう伝えました。「万博は、自由に未来の希望を形にできる夢のような機会なので楽しんでもらいたい」。

こうして完成した「ミライ人間洗濯機」は、大阪・関西万博のヘルスケアパビリオンに展示され、多くの来場者が実際に入浴し、全身でその革新を体感しました。それが、55年越しの再挑戦を完遂する第一歩となったのです。さらに閉幕後には、多くの希望に応える形で販売化も決定しました。

1970年万博の想いを2025年の万博につなぎ、さらに未来へと広げていく。「ミライ人間洗濯機」には、そんな壮大なビジョンが込められています。

大阪・関西万博 大阪ヘルスケアパビリオンに展示された「ミライ人間洗濯機」

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